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THE RETURN OF THE WOLF (オオカミの帰還) / HIGH PERU (高ペルー)

¥2,200

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Ugly Ducklingらのリリースを手掛け、lyrical schoolのアルバム『WORLD SEND』を全曲レーベルのアーティストがリミックスした『WORLD□S END 南半球remix』などでも知られるHydrofunk Recordsが25周年 !

2006年、ベンジャミン・ウォルシュは、「Crusty Suitcase Band」とうい名のニューオーリンズスタイルのブラスアンサンブルを作曲。4年以上かけて自身の曲で3枚のアルバムを制作した。この制作を通し、彼自身の音でワールドミュージック、ジャズ、エレクトロ音楽の要素を様々な形で組み合わせオーケストラを作るアイデアを思いつく。2009 年にその目標を達成し、アルバム「Orkestra Of The Underground」を完成。 多くのツアーやリリースが成功を収めた後、世界規模の旅行制限により大規模なアンサンブルのツアーの継続に現実的な障害に直面する。 この時期のオーストラリアはどの国際フェスティバルからもかなり遠いていた。4年前、彼は最初のカルテット曲を書き始めた。この音楽を描写すると、ファンク、アフロビート、クンビア、ペルーのチカ、ルーマニアのストリングス、ビバップ ホーン (ミンガス、モンク、マイルズなど) が融合したものといえる。ドラムがメインリードで、シンセサイザーとキーボード、そしてヘビーブラスと木管楽器、ヴィオラ、ヴァイオリン、ギターが組み合わさって作曲されている。斬新なのはそのリズムであり、ファンクとジャズではあるが、普通のジャズファンクとはまた違う曲調である。複雑な 13、7、9、11 拍子の探求と奇妙な楽句が特別な音楽感を作り出している。ダンスフロアを盛り上げる鍵となるのは、知的なジャズパートとバックビートのバランスだろう。この独特な音楽の曲調は、彼のインストゥルメンタル ジャズと世界の伝統音楽に対する敬愛から生まれ、電子機器を取り入れることにより彼独自の音楽となっている。ハイドロファンクからリリースしたアルバム『REMIX EXPERIMENT』をきっかけに、ベンは電子機器を使うことによる自身の音楽の可能性を再開発しはじめる。低重音響効果とテクノロジーを組み合わせることで、伝統的な楽器での演奏法を一新することになる。過去 10 年にわたって、彼は声をシンセサイザーのベースラインに変換する歌い方を開発し、単独でのドラムとベース奏者を可能にした。それは確立したリズムを作り出している。彼のカルテットでは…ジャズ演奏でそれぞれの演奏者が奏でるホーンセクションを、音響効果を介する事で諧調の倍音を可能にしている。このプロジェクトは生演奏者で楽曲することが主軸であり、テクノロジーを利用し4人の演奏者だけで大音響楽団であるかのような音を作りだしている。その音は2023年バージョンのジャズレコードのようでもある。この音楽は、作曲の可能性を広げるため、各国の演奏者と無理なく共演できるように作られている。このアンサンブル作品は、マット・オティンニョン(ホーン)、シェンゾ・グレゴリオ(ストリングス)、ピーター・ハント(トランペット)。長年の友人達であり、素晴らしいオーストラリアのミュージシャンによって録音された。プロデューサー兼エンジニアであるベンは、作曲中ほとんどの音源を彼自身で録音した。しかし、ドラムの録音だけは、有名なサウンドエンジニアであるクリス・タウンエンドのレコーディングスタジオを使用し再録した。なぜならクリスのスタジオ、Flying Pan Studio は新しく建設されたばかりで、タスマニアの世界クラスの MONA (新旧美術館) 内にあり世界クラスの録音機器アビーロードコンソールを内設されたからである。ベンは、2回にわたりドラムセッションでそこを訪れドラムの音源を録音し、アルバムをミックス。さらにアルバムを装飾するため、可能な限り最高のドラムサウンドを録音した。そしてついに音楽が完成した。世界が閉鎖される直前に、ベンジャミン・ウォルシュはハイドロファンクとともに日本ツアーをしている。ベンは日本のライブ主催者、関係者と連絡を取り合い、以前のツアーで演奏した彼の音楽が彼らにインスピレーションを与えたかどうか聞いた。すると「もちろん!多大な影響を受けたよ」という返答をもらう。ベンと日本とのつながりは、1990年代に和太鼓を演奏していたことが始まりだった。彼はオーストラリアの太鼓アンサンブルTAIKOZの結成の一員であった。日本の伝統的な和太鼓を6年間学んだ後、東京太田区にある太鼓道場に通い、林英哲氏の元で1ヶ月間集中的に学ぶ。人間国宝である林英哲(広島生まれ)は、伝説的な太鼓奏者の第一人者である。彼は、国際的に有名なグループ「佐渡鬼太鼓座」と「鼓童」の創設者であり、リードパフォーマーでもある。ベンは、地域のさまざまなスタイルのドラマーや、太鼓道場の主任たちがかかわる神戸での伝説的な1000人のドラマーによるコンサートに参加し、鼓童を含む多くのグループとコラボレーションする機会を得た。この経験は彼のドラムスタイルの基本的な要素となり、彼の人生の流れを変えることとなった。以来、ハイドロファンクとの関わり以外で、彼は日本を訪れていない。「日本は古代の伝統と現代の創意工夫が完璧に融合した場所です。ハイテクの世界と職人の技が出会う場が私にとって真の日本です。日本の背景にある文化は、さまざまな表情を作り上げて顕在化している。だからこそ、日本の観客は私の音楽を理解してくれるのだと思います。なぜなら、彼らは私の作り出す音の中にあるストーリーに深く耳を傾けることができるからです。ジャズとファンクの音楽は日本の現代生活に織り込まれており、日本の古代音楽は私の生活に織り込まれています。私たちはお互いをそういった形で理解しあえるのだと感じています」 - ベンジャミン・ウォルシュ

  • Side A
  • The Return Of The Wolf (オオカミの帰還)
  • Side B
  • High Peru (高ペルー)
  • 国内プレス盤 / 45回転 / E式ジャケット付
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