筒美京平
前人未踏の1960年代~2000年代の5decadesでNo.1を獲得。先進性・独創性・大衆性を備えた史上最強のヒット・マシーン
プロフィール

筒美京平(つつみ・きょうへい 本名渡辺栄吉 1940年〈昭和15年〉5月28日~2020年〈令和2年〉10月7日)
作曲家筒美京平の特徴は左記の三点に要約される。
①先進性
②独創性
③大衆性
つまり、新しいセンスとオリジナリティとそこから生まれたヒット曲ということになる。筒美京平は歌謡曲史上最も偉大なヒット・メーカーとして記憶されるが、ヒット・メーカー筒美京平の真価は「良質」で「高水準」の作品を「量産」したことだろう。しかも、それはきわめて「長期間」に渡る。
筒美京平は1940(昭和15)年5月28日生。本名・渡辺栄吉。クラシックのピアニストを目指したが、音大へは進まずに初等部から続いた青山学院大学に入学。スウィング・ジャズのコンボに参加して卒業後は日本グラモフォン(現ユニバーサル・ミュージック)の洋楽部でディレクターとして勤務。青山学院の一年先輩である作詞家・橋本淳の薦めもあり、すぎやまこういちの元で作編曲を学び66年に「黄色いレモン」で作曲家デビューした。
67年のヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」を契機としてGSとガール・ポップでヒットを放つ。69年にいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」でチャートの1位を獲得して同年のレコード大賞作曲賞を受賞。以降現在に至るまで長期間に渡って数多くの傑作を残しているが、作風はアイドル・ポップスからアダルト・オリエンテッドなポップス、ニューミュージック系アーティストへの作品と多岐に渡り、時代的には左記のようにいくつかに分類することができる。
第一期 バラ色の雲~雨がやんだら 1967~1970
第二期 また逢う日まで/17才~よろしく哀愁/甘い生活 1971~1974
第三期 ロマンス/木綿のハンカチーフ~魅せられて/セクシャルバイオレットNo.1 1975~1979
第四期 スニーカーぶる~す~なんてったってアイドル 1980~1985
第五期 仮面舞踏会~人魚/強い気持ち・強い愛 1986~
レコード大賞受賞は71年の「また逢う日まで」と「魅せられて」の2回。現在までにチャートの100位にランキングされた楽曲は500曲を超え、うちトップ10ヒットが200曲超、1位は38曲で20003年のTOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」によって1960年代~2000年代までの5decadesのすべての年代でチャートの1位を獲得するという前人未踏の記録を樹立した。
高 護(ULTRA-VYBE/Hotwax.INC)

関連動画
おすすめ商品
チヨ・筒美京平を唄う
CD
¥2,640
|
女は何度も勝負する
CD
¥2,934
|
¥2,750
|
¥1,980
|