SCEPTER

バート・バカラック、ディオンヌ・ワーウィックを輩出したNYの名門レーベル

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プロフィール

セプター・レコード(Scepter Records)は、1959年にフローレンス・グリーンバーグがニュージャージー州パサイックで生まれた小さなレコード・レーベルTiara Recordsでシュレルズの楽曲「I Met Him On a Sunda」の権利をDECCAに売却して得た4,000ドルを元手にニューヨークに設立したインディペンデント・レーベルだ。
当初は西54丁目254番地のオフィス兼倉庫に自前の録音スタジオを置き、ポップ、リズム&ブルース、ソウルなど多彩な音楽を次々に世に送り出した。

シュレルズの「Dedicated to the One I Love」、「Tonight's the Night」を経て、1960年リリースのジェリー・ゴフィン&キャロル・キング作「I Will You Love Me Tomorrow」がついに全米チャート1位を獲得。この成功は女性グループでは快挙であり、続く「Mama Said」、「Soldier Boy」もポップ・チャートを席巻し、セプターはガール・グループのを一躍トップ・アーティストに送り込んだレーベルとして業界に名を馳せた。

シュレルズと並び、もう一人のレーベルの立役者がバート・バカラックである。バカラックは当時無名のソングライターにすぎなかったが、セプターの録音スタジオでハル・デイヴィッドと共に「Don’t Make Me Over」を制作。1962年にリリースされた同曲はディオンヌ・ワーウィックを一躍スターへと押し上げ、続く「Anyone Who Had a Heart」や「Walk On By」、「Alfie」(映画『アルフィー』主題歌)など名曲を次々に送り出した。この一連の成功はバカラックを“作家/プロデューサー”として世に知らしめ、ポップスの金字塔を打ち立てた。

1961年にはシュレルズのヒットによりサブ・レーベルWand Recordsをスタート。ディオンヌのほか、チャック・ジャクソン、B.J.トーマス、ザ・ガスメン、キングスメンらが所属し、1960年代を通じて全米ヒットを量産した。とりわけB.J.トーマスの「Raindrops Keep Fallin’ on My Head」(1969年映画『明日に向かって撃て!』挿入歌)は全米ポップ・チャート1位を記録し、セプター・サウンドの幅広さを印象づけた。

1970年代初頭には後にWEST ENDを立ち上げるメル・チェレンが入社してディスコ・リミックスの先鞭をつけ、トム・モルトンらと12インチ・シングル文化を開拓。ロフトやパラダイス・ガレージのDJがサウス・ショア・コミッションの「Free Man」をプレイし、R&Bからソウル、ディスコへ繋がるダンスシーンに多大な影響を与えた。

1976年、グリーンバーグはレーベルを売却、セプターの黄金期は幕を閉じた。
カタログは現在でも映画やCM、ヒップホップ/R&Bのサンプリング素材として今日に至るまで多くのクリエイターに愛用されている。

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