BRUNSWICK

シャイライツ、バーバラ・アクリンを擁する1970年代シカゴ・ソウルの名門レーベル

BRUNSWICK

プロフィール

BRUNSWICK Recordsのソウル期──1950年代後半から1970年代中盤まで──は、アメリカのブラック・ミュージック史を語るうえで欠かせないドラマに満ちている。1916年に蓄音機メーカーの一部門として創立されたブランズウィックは、その後レーベル事業に軸足を移し、1920年代にはホットジャズの名門として知られていた。しかし、真の転機を迎えるのは1957年。デッカ傘下の経営者ナット・タルノポルが、ブラック・カルチャーの殿堂と呼ばれたフレイム・ショー・バーでジャッキー・ウィルソンと出会ったときだった。デモを手にしたタルノポルは同年「Reet Petite」をブランズウィックからリリース。全米ポップ・チャートを席巻し、蘇った老舗レーベルに新たな息吹を吹き込んだ。

1960年、ブランズウィックはデッカと対等合弁の独立企業へと再編され、“ブラック・ミュージック専門”レーベルとして再出発。以降、ジャッキーの「Lonely Teardrops」「That’s Why (I Love You So)」といったヒットを重ね、ソウルシーンの中核を担った。

1966年にシカゴのプロデューサー、カール・デイヴィスを招き、廃業したVee-Jay社のビルを買い取り、セッション・ミュージシャンを集結させた。ジョン・アヴァント率いるブラス隊、フロイド・モリスとテニソン・スティーヴンスの鍵盤、クインティン・ジョセフのドラムがレーベルのハウスバンドを構成し、その後ろ盾で生まれたのがタイロン・デイヴィスの〈Can I Change My Mind?〉(1968年全米R&Bチャート1位)や、バーバラ・アクリンの〈Love Makes a Woman〉(1968年)となった。

1970年には本家モータウンとはまた違う、大地に根ざした泥臭いソウルが、ザ・アーティスティックスやシャイライツに受け継がれた。シャイライツの「オー・ガール」(1972年全米1位)は、切ないコーラスとスウィートなバック・トラックで世界中のソウル・ファンを虜にした。こうして“ブランズウィック・サウンド”は頂点を迎える。

しかし1970年代中盤にデッカ側幹部との溝が深まり、1979年には主要アーティスト契約を次々に失い80年代初頭には活動休止したがここで生まれた楽曲たちは“永遠のソウル・アンセム”として今も息づいている。

現在の音楽シーンに影響を与え続けるブランズウィックのカタログは沢山のアーティストにサンプリングされている。2003年のビヨンセの大ヒット曲「Crazy in Love」はブランズウィックの楽曲を現代に蘇らた。プロデューサーのリッチ・ハリソンは、ニューヨークの中古レコード店で偶然見つけたシャイライツの「Are You My Woman (Tell Me So)」のホーンリフをサンプリング。ビヨンセの強烈なヴォーカルと掛け合わせることで、オリジナルとはまったく異なるエネルギーを生み出しました。
この一曲で、ブランズウィックのカタログは再び世界的な注目を浴びた。 ヒップホップ/R&Bプロデューサーたちはこぞってブランズウィックのカタログを掘り返し、ソウルフルなブレイクを探し求めた。タイロン・デイヴィスの「Can I Change My Mind?」は、やJ.ディラのビートで再び息を吹き返し、オリジナルの持つ哀愁と熱量を伝え続けています。

当店イチオシの一枚!

関連動画

おすすめ商品

関連記事

関連サイト

並べ替え:
BARCODE
タイトル
発売日
価格(安い順)
価格(高い順)
発売日+タイトル
198件あります
198件あります