1980年代に入ると日本のロックン・ロールは新たな局面を迎える。 THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(以下本稿では横浜銀蝿とする)の登場である。 彼らは先駆者であるキャロル~クールス、DTBWB同様にリーゼントのヘアー・スタイルをメイン・ヴィジュアルにしているが、様相はやや異なる。矢沢永吉、ジョニー大倉、舘ひろしの醸し出す、スマートでセクシーな趣きとは違って、ダブルのライダース・ジャケットに白のドカン(ボンタン)にパーマ・リーゼントという出で立ちで登場。それ以前の革ジャン・リーゼントのイメージを継承しながらも、捻りつつデ・フォルメした装いは強烈なインパクトを放っていた。これは後の所謂「ヤンキー・ファッション」のプロト・モデルであり、先駆けである。 このヴィジュアル面の相違が意図的なものであることは明白で、そして、それはそのまま音楽性の相違となる。
銀蠅の歌詞およびテーマの大きな特徴は、よりストリートに根ざした若者のリアルな生活とその描写である。その点ではDTBWBの「スモーキン・ブギ」に近似するが、DTBWBの歌詞世界がプロフェッショナルな技術に裏打ちされた、世代的にはやや年長を対象としたストーリー性を持っていたのに比べて、横浜銀蝿のテーマは音楽的方向性は異なるが、60年代後半~70年代初頭に台頭した岡林信康の「山谷ブルース」や吉田拓郎(よしだたくろう)の「青春の詩」といった自作自演のフォークの持つシンプルでパーソナルな世界観に趣としては近い。 わかりやすくいえば「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の持つシナリオ的でフィクショナルなストーリー展開と「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編) 」におけるティーン・エイジャーの経験的テーマとそこから導かれるディテールを縦横の軸とするストーリー構築の違いである。
テビュー曲の「横須賀Baby」の歌詞はやや感傷的なノスタルジックな物語で、ストリート感覚は控えめだったが、続く「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編) 」の^今日も元気にドカンをきめたら ヨーラン背負ってリーゼント で横浜銀蝿の歌詞世界はすでに完成されている。 彼らは「ツッパリ」「ぶっちぎり」「おちこぼれ宣言」「全開バリバリ」といったキャッチーかつストレートなキーワードを次々と発信。コンサートを「集会」と称して、アルバム名やタイトルにも「仏恥義理」「羯徒毘ろ(王辺に路)薫'狼琉」といった当て字から特異な文化を創出。彼らの発光するイメージはデビュー後、瞬く間に浸透していった。 時代がバブルという虚構的な繁栄を迎える直前の80年代初頭であったことも大いに関係しているが、これこそが横浜銀蝿の評価の分岐点である。
音楽および音楽評論の歴史において、エリートやインテリ層の嗜好は、いつの時代もリアルな社会の実情とは無縁な、机上の小さな世界や思考の浅い思い込みから捻り出された、頭でっかちで無意味な評価や辻褄のあわないその修正の連続である。 下記は私自身の1981年当時の横浜銀蝿についての記憶であり、本稿における横浜銀蝿への最大の賛辞である。 「横須賀Baby」のシャコタンのダルマ・セリカの深夜放送でみたPV。「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編) 」はチャック・ベリーの「SCHOOL DAYS」だ。 横浜銀蝿の音楽には、レイス・ミュージック(被差別人種音楽)として捉えられながら、ツッパリ放題で言いたい放題、誰とでも揉め事を起こすチャック・ベリーにどこか近い部分があったのかもしれない。