クールス

唯一無比にして最高のロックン・ロール・バンド降臨

クールス

プロフィール

クールスの偉大な歴史を音楽的にひも解くと下記の4期に大きくカテゴライズされる。
第1期キング時代1975~1976『クールスの世界~黒のロックン・ロール』
第2期トリオ時代1977~1979『ビー・ア・グッド・ボーイ』~『NEW YORK CITY N.Y.』
第3期ポリスター時代1980~1984『ビッグ・ディール』~『Changelings~Born Busters Again~』~『キングス・オブ・ロックン・ロール』
第4期拡散~再結成~現在1990~2025『Original Cools '90』~『COOLS 40TH ANNIVERSARY LIVE 2015 LIVE at EX THEATER ROPPONGI 21st Sep.2015』
クールスは原宿のハーレー乗りのグループが母体となって、1975年9月21日にシングル「紫のハイウエー/あの娘はステディ・ガール」とアルバム『黒のロックンロール』の同時リリースでデビュー。キャロルの日比谷野音の解散コンサートの親衛隊として名を馳せてから半年後のことだった。
レコードデビュー時のメンバーは以下の通り。

たちひろしヴォーカル
水口晴幸ヴォーカル
村山一海ヴォーカル
ジェームス藤木リード・ギター、ヴォーカル
飯田和男サイド・ギター
大久保喜市ベース・ギター
佐藤秀光ドラムス

キング在籍時代は約2年間。デビュー時の実質的なサウンド・プロデューサーは近田春夫。音楽的に際だったセンスを発揮しているのは近田春夫の功績が大きい。シングル3枚、アルバム2枚、ライヴ・アルバム1枚を残して、たちひろしが脱退。基本的にここでクールスは1回解散している。
その後はたちひろしがキングに残りセクシー・ダイナマイツを率いてソロ活動を開始、残ったメンバーはトリオに移籍。クールス・ロカビリー・クラブ(以下本稿ではクールスと総称)と改名して活動を再開することになる。
クールスがその真価を発揮するのはトリオでの2作目のアルバム『BE A GOOD BOY』と続く『THE COOL』であり、年代としては1977~1978年になる。
類い希なメロディー・センスをもったジェームス藤木を中心とするクールスの音楽的な魅力は、プリミティブな「ロックロール」と「ソウル/R&B」の要素を無理なくかつ力強く融合させたところだろう。平易に思えるが日本のロックの歴史を辿っても成功しているのはクールス以外に見あたらない。『BE A GOOD BOY』にASSOCIATE PRODUCERとクレジットされた近田春夫の存在も見逃せない。そして、そこで見出されたクールス・サウンドは『THE COOL』においてひとつの頂点を迎え見事に完成されている。
続く『NEWYOK CITY N.Y』はサウンド・プロデューサーが前年のシングル「センチメンタル・ニューヨーク」をきっかけにした山下達郎。ニューヨークでの長期間のレコーディングを経てジェームス、一海と共に奇跡の名曲「LOVE CHANCE」を産み出している。
トリオ時代のクールスは音楽的にまさにひとつの絶頂期であり、3枚のアルバムはすべてが歴史に残る傑作である。そしてそこに近田春夫、山下達郎という「長髪でジェームス・ブラウン好き」な二人の鬼才が深く関わっていることはきわめて興味深い。
その後クールスは1980年に入りポリスターへ移籍しCOOLS R.Cと名称を変更。次のように傑作を連発する。

『BIG DEAL』は1980年代の日本のロック・シーンに燦然と輝く進化したロックン・ロールの名盤である。キング時代『黒のロックン・ロール』の実質的なサウンド・プロデューサー近田春夫がクールスに与えた影響の大きさは計り知れないが、『BE A GOOD BOY』ではASSOCIATE PRODUCERとクレジットされており、本作ではspecial thanks toと表記されている。
一聴して迫力のある立体的なサウンドに引きこまれるが、特に重低音の響きと高音の抜けがよく、いわゆる「鳴り」がトリオ時代と比べて格段に進化している。これは音響面の機器や技術進歩も無関係ではないが、音楽的な組み立て=アレンジメント~オーケストレーションやアンサンブルの進化が最も大きな要因だろう。セカンド・シングル「T-Bird Cruisin」を筆頭に全編でテンションの高い緊張感に満ちた一海のヴォーカルも際だっている。

『THE CHANGELINGS ~BORN BUSTERS AGAIN~』
たちひろしの脱退(公式にはクールスの解散とされている)、水口晴幸(ピッピ)の脱退と2度にわたるヴォーカリストの離脱という困難な状況を経て、新天地ポリスターでようやく自分たちの理想に近い音作りに専念、1980年代の活発な動きが期待された矢先『THE HIT』を最後にベースの大久保喜市が脱退する。
替わって加入したのがトニー萩野で、同時に横山剣(当時の表記はケン横山)が加入して6人編成のツイン・ヴォーカル・スタイルが復活する。このきわめて賢明なジャッジがどのようなプロセスで決定されたのかは知る由もないが、ここから第3期後期のクールスが始まる。
『THE CHANGELINGS ~BORN BUSTERS AGAIN~』は3度目の大きなメンバー・チェンジによる重要なタイミングでのアルバムになる。その為か[CHANGELING Q数下げる 取り替え子。ヨーロッパの民話で、妖精が人間の子供をさらった後に置いていく妖精の子供]というあまり見かけることのない英語の名詞がタイトルに冠されて隠喩的な雰囲気が感じられる。[BORN BUSTERS AGAIN]はこれも意味深で、BASTARDであれば[ろくでなしが再び生まれる]という比喩的表現だと解釈できるが、[BUSTERS]だと少し異なる。「とんでもない奴がまた現れた」といったところだろうか。

そして間髪入れずに9ヶ月後に発表されるのがポリスターでの第4弾。歴史に残る傑作『COOLS OLDIES SPECIAL』である。

『COOLS OLDIES SPECIAL』
全曲1950~60年代のR&R/R&Bの日本語カヴァーという画期的なコンセプト・アルバムがどのような経緯で成立したのかについては大いに興味をそそられる。
山下達郎の『ON THE STREET CORNER』のリリースが1980年12月5日で本作より2年以上早い。アカペラの一人多重録音も話題になったが、「MOST OF ALL」(The Moonglows)「REMEMBER ME BABY」(The Earls)といった1950~60年代の通好みの名曲を取り上げたことから一部で大いに話題になったアルバムである。シャネルズのファースト・アルバム『Mr.ブラック』が同年5月21日リリースで、デビュー曲「ランナウェイ」がチャートの1位を獲得する大ヒットの後を受けて『Mr.ブラック』も堂々アルバム・チャートの1位を獲得するが、アルバムのB面は彼らがライヴで取り上げていた「BAD BLOOD」(The Coasters)「ZOOM」(The Cadillacs)といったドゥー・ワップ・ナンバーのみで構成されており、いわゆる「オールディーズ・マニア」が溜飲を下げた年である。
選曲はクールスならではの雑食性が横山剣の加入で加速されており、ヴァリエーションの豊富さも魅力である。

39年間の歴史の中でクールスの編集盤・ライヴ盤を除くスタジオ・レコーディングによるオリジナル・アルバムは下記の14作になる。チャートの最高位を参考に掲げた。
高 護(ULTRA-VYBE/Hotwax)

キング時代
1.クールスの世界~黒のロックン・ロール(1975年9月21日)55位
2.ロックン・ロール・エンジェルス(1976年7月21日) 52位

トリオ時代
3.クールス・ロカビリー・クラブ(1977年6月25日)42位
4.BE A GOOD BOY(1977年11月10日)30位
5.THE COOL(1978年4月25日) 16位
6.NEW YORK CITY N.Y.(1979年3月25日)46位

ポリスター時代
7.BIG DEAL(1980年7月25日)
8.THE HIT(1981年4月25日) 74位
9.THE CHANGELINGS ~BORN BUSTERS AGAIN~(1981年10月25日)
10.COOLS OLDIES SPECIAL(1982年6月25日)
11.ロックン・ロール・ジャンキー(1983年10月21日)

1990年代
12.Original Cools '90(1990年6月25日)MOON 77位
13.Good Fellows(1993年8月)スターランド
14.Dyed In The Cool(1995年9月21日)センチュリー

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